アメリカ横断2人旅

めざせNY→LA完全走破!新婚旅行ドライブ挑戦記

アラスカDAY8 植村直己を追って

 

最北のプロフェッショナル焙煎所

快晴。8時半起床。

予報に反しての晴れ。フェアバンクス周辺だけ?と思いつつ、アンカレッジ方面も晴れているなら一気に南下する作戦でホテルを出発。

 

向かうはハイウェイ・・・ではなくコーヒー屋。彼女がひそかに調べておいてくれたフェアバンクスの焙煎所へ。

鉄道の引き込み線が入り組む倉庫地帯。「一体、こんなところにコーヒーロースターなんてあるのか・・・」と不安になったそのとき、「NORTH POLE COFFEE」という看板を見つけた。

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「これって倉庫か物流オフィスで、一般人は買えないんじゃ・・・」と恐る恐るドアを開けてみた。すると、店内はコーヒー屋。だが、カフェというより物販専門の様子。

私たちの目的は豆を買うこと。しかし、ミルを持たずに旅を続けている。

店員さんに「旅行中なので少しだけ挽いてくれることは可能だろうか」と相談してみた。12オンス(340グラム)豆を買うので、そのうち半分だけでも挽いてほしいと伝えてみた。

 

すると、男性店員は「ノープロブレム!」。さらに、「旅行中なら、買った豆は開封せずに持って帰った方がいいです。サンプル用に挽いた豆を無料で差し上げますので、そちらを使ってください」とのこと。

さらにさらに、「飛行機で帰るなら、豆は貨物室に預けず、手荷物で。気圧の関係で豆がおいしくなくなります。必ず機内に!」。

うーむ、コーヒー豆にかけるこの情熱。プロフェッショナルな店をアラスカの地で見つけた。

結局、6オンス(170グラム)の挽いた豆を「おまけ」として無料でもらった。

感謝の言葉とともにお店を後にしようとしたそのとき、先ほどの男性店員が呼び止めてきた。

「コーヒーは飲みました?」

 

「ん?コーヒー??」と首をかしげていると、店員は「奥にポットに入ったドリップコーヒーがあるので、どうぞ」と教えてくれた。

「大きいカップと小さいカップどちらがいいですか?」と聞かれたので、大きな紙カップになみなみのコーヒーを入れてお礼を言うと、「1杯だけ?2杯どうぞ!」とさらに笑顔でたたみかけてくる。

恐るべし、極北のロースター。

 

すっかり満足して、車を走らせる。再び定番のフレッドマイヤーに立ち寄り、朝食兼ランチのサンドイッチなどを購入。車内で食べながら南をめざす。

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ケンカはやっぱりいけません

朝いちの定番曲、「美しく青きドナウ」の爽やかな調べとともに車を南へ走らせる。しかし、青く晴れ渡っていた空に少しずつ雲が増え始めた。

 

空模様を反映するかのように、車内に不穏な空気が漂い始めたのは1時間ほど走ったころ。

爆走する大型バイクが気持ちよさそうに目の前を走っていた。車内のBGMは、水曜どうでしょうのテーマソングにちょうど切り替わった。「これぞ、アメリカドライブ!」。

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音楽とともにバイクが走る様子を車窓から動画撮影しようとボリュームを上げる。ノリノリで撮影していたのもつかの間、彼女が音量を下げてしまう。

もう一度、曲をかけ直して動画を撮ると、再びボリュームを下げる彼女。

「動画撮っていたのに、なんで小さくするの?」と文句を言うと、「動画撮ってたなんてわからないよ」と譲らぬ彼女。

おー、この旅はじめてのケンカ!

仕方ないので音量を小さくし、静かにすることにした。なんとなく無言の2人。面白くないので黙って座席を倒し、ふて寝を決め込むことにした。

 

少しウトウトして目覚めると、デナリ国立公園の近くまで戻ってきていた。

いつまでも口をきかないのも大人げない。ふて寝の反省も込めて、ロッジやお土産屋さんが立ち並ぶ一角を散策。

ゴージャスな高級ロッジエリアを歩くと、富裕層と見受けられる観光客ばかり。彼らもツアーバスに乗り、デナリの野生動物を楽しみに来るのだろう。

「我々もやがては歳をとり、こうした旅をする日がくるのだろうか」

「いや、こんな旅よりも、テントを担いで歩き回る方が私たちらしいよ」

「いやいやいや、そもそも金持ちになんてならんよね」など取り留めもない話をしながら、出発。

 

 

キャンプ地をめざして

ここまで運転を頑張ってくれた彼女に代わってハンドルを握る。

車内の空気は、どことなくわだかまりが残ったまま。すると、今度は彼女が座席を倒して、眠りについてしまった・・・。

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まるで、「お返し」とばかりのふて寝攻撃か。いや、本当に眠たかっただけなのかもしれない。

なので、ボリュームを小さく、静かに音楽を聴きながら1人で黙々と運転。

 

今日もデナリは天気が悪い。

私たちが終始見ていたデナリ山も厚い雲にのみ込まれたまま。車内で昼寝するにはちょうどいい天気かも。

毎度感じることだが、旅というのは天気一つでずいぶんと印象が変わる。私たちはラッキーだったのだろう。

デナリでキャンプするなんて、一生に何回もあることじゃない。きょうデナリを訪れているキャンパーにも、一生で一度きりの人もいるはず。

なんだか、晴れているデナリ山を見ることができないのが残念で残念で、とてもひとごととは思えなかった。

 

どうでしょう班も追いかけつつ

そうこうするうちに、デナリ国立公園ゲートから南に30マイルのキャントウェルという小さな集落に到着。

どうでしょう班がキャンピングカーで2夜連続滞在し、大泉さんが特製パスタをお見舞いした地。ちょっと立ち寄り、記念撮影。

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天気予報をチェックする限り、どうにもアンカレッジ以南は土砂降りの模様。一気に南下して氷河近くの国立公園のキャンプ場にテントを張るつもりだったが、予定を見直す。

 

そこで、彼女が代わりのキャンプ地を必死に探してくれた。

デナリ国立公園から南に100マイル(約160キロ)、似たような名前ながら「デナリ州立公園」のキャンプ場が快適そうだとわかった。

テントサイトによっては、デナリ山がきれいに見渡せる場所もあるらしい。この曇り空では見えないだろうが、雨の予報がないことに感謝。

 

1時間半ほど走り、お目当てのキャンプ場に到着。

こじんまりしたキャンプ場だが、きれいに整備されているのはアメリカならでは。テントサイトは芝生で、原野にテントを張ったバックカントリーキャンプと比べれば雲泥の差だ。

隣のサイトとの距離も十分に保たれ、テーブルやキャンプファイヤー用のピット、クマ対策の食料保管倉庫も備え付けてあり、理想的な場所。

しかも、20ドル。迷うことなく、ここをキャンプ地とする!

 

受付もないので、封筒にお金を入れて必要事項を記入し、近くのポストに投函。

車から荷物を下ろし、テントを設営。慣れてきたもので、数分でテントを立てられるようになってきた。

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お隣さんにもお会いしたので、軽くご挨拶。

アラスカにお住まいの女性と、夏休みにカリフォルニアから遊びに来たという10代の姪っ子の2人組。

女性は「昔、東京出身の日本人をホームステイさせていたことがあるのよ」とのことで話がはずむ。

 

 

植村直己を追いかけて

さてさて、キャンプの準備を終えてのんびりしたいところだが、我々にははもう1カ所訪ねなければならない場所があった。

いや、個人的には今回のアラスカの旅で最も重要な目的地と言ってもいい場所。デナリ山への登山基地ともなっているタルキートナの街だ。

キャンプ場からは南へ直線距離で20マイル(約30キロ)しか離れていないが、大きな川に阻まれており、迂回して50マイルほど走らなければならない。

時刻はすでに15時半。往復100マイルの道のりなので早速出発。

 

タルキートナ。

なぜ、この街にこだわるのか。世界初の5大陸最高峰登頂、人類初の単独北極点到達など、日本が誇る冒険家植村直己が滞在した街だからだ。

植村さんを敬愛する山好きの私の母親は、幼いときから繰り返し植村さんの物語を話して聞かせてくれた。植村さんの著書「青春を山に賭けて」は、私が中学生のころからの愛読書だ。

数々の単独冒険に挑みつづけた植村さんだが、1984年、冬季デナリ単独登山に挑戦したのを最後に行方不明となった。

その彼が定宿とし、冬のデナリ山に消える直前に宿泊していたロッジが、このタルキートナにある。ぜひこの目で見たい。これは長年の私の夢だった。

 

曇り空の下、約1時間でタルキートナに到着。

登山の街なので硬派な山男ばかりが集まっているのかと思っていたら、これが予想外。こじゃれたロッジやレストラン、バー、お土産物屋が並び、家族連れで夏のアラスカを楽しむリゾート地であった。

しかし、雰囲気がいい。俗っぽさはなく、歴史も感じさせ、のんびりとした時間が流れる。昔ながらの古き良き山岳リゾート地の印象だ。

 

そして、めざすロッジ「LATITUDE62」はすぐに見つかった。

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丸太づくりで、年季を感じさせる重厚さが伝わってくる。ドアを開けて中に入ってみるが、フロントらしきものがあるわけでもない。

入り口奥には、レストランとバーがあるだけで誰もいない。

「宿泊するわけでもないし、どうしたものだろうか」と戸惑っていると、ウェイトレスの女性が注文を取りに近づいてきた。

「日本人の植村直己がここに泊まっていたと聞き、見学しに来たのですが」と伝えると、「こっちに展示があるわよ!」と案内してくれた。

こじんまりとしたカフェスペースには、日本人として初めてナショナルジオグラフィック誌の表紙を飾った植村さんの写真や、デナリ山に向かう機内で撮ったものと思われる最後の笑顔の写真も。

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偉業をたたえる説明文も掲示してあった。

「歴史はウエムラを偉大なソロ登頂者として記憶するかもしれない。しかし、彼の誠実な慎み深さと謙虚さこそ特筆すべき点だ」

 

人柄を直接に知るからこそ書ける、植村さんへの熱い思いにあふれたメッセ―ジ。

感動しながら見学を終え、バーカウンターに座る。冒険にすべてをかける植村さんがここでのんびりと酒を飲んだとは思えないが、このレストランで食事をしたことだけは間違いないだろう。

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そんな雰囲気を味わいながら、ビールを注文する。バーカウンターには50代ぐらいの女性店員が、宿泊客の問い合わせにも応じていた。この宿の責任者か。思い切って話しかけてみた。

「私たちは日本人なのですが、植村直己の思い出の場所を訪ねてきました」。そう告げると、女性は「まぁ、ようこそ!ここは彼が何度も泊まった場所なのよ」と忙しそうに手を動かしながらも、気持ちよく答えてくれた。

母親が植村さんのファンだったと伝えると、「なんてことかしら。せっかくなら彼が泊まっていた5号室を見せたいんだけれど、あいにく今日は埋まっているの。日本から泊まりに来る人もいるのよ」と気遣ってくれた。

 

植村さんをデナリ山のふもとまで送り届け、その後山頂近くで最期の姿を見届けることになったパイロットは健在で、いまもここでビールを飲んでは、ギターを演奏していることも教えてもらった。

部屋の中を見ることはできなかったが、5号室のドアノブを握り、ドアにそっと耳をあててみた。

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タルキートナのブリュワリーで缶ビールを買い、雑貨店でゆで卵とタマネギを買う。このお店は1921年創業の老舗。恐らく植村さんも食品などを買ったのではないだろうか。

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さらに、タルキートナの小さな空港にも足を運び、次々に飛び立っていく小型機を眺める。短い滞在時間ではあったが、植村さんの足跡を訪ねる思い出深いひとときとなった。

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楽しいキャンプ時間

18時過ぎにタルキートナを出て、50マイルの道のりを1時間かけてキャンプ場に戻る。

夕飯の準備に取りかかるが、なぜかポンプが故障。近くのRVキャンプ場まで水を汲みに行く。

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バックカントリーの残りのラーメンと野菜を煮込む。湯気が立ち、うまそうな匂い。手早く完成。

買ってきたばかりのビールも開け、2人だけの夕食タイム。楽しすぎて、連日のテント生活も苦にならない。キャンプにハマりそうな予感。

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23時過ぎに雨がポツポツと降り出した。いつもより濃い青が残る空を眺めながら、寝袋にもぐりこむ。

(なお)

  

この日の走行距離=320マイル

総走行距離=1315マイル

 

 

★私から一言★

ドライブ中にケンカなんかしたっけ? と全く記憶にないけれど(笑)、タルキートナを訪れて感無量のなおさんの様子はよく覚えています。

植村直己がデナリ山に姿を消してもう長年経つのに、今も彼のことを称える展示が定宿にあったり、宿の人が気軽に植村直己について話してくれたり、山好きの人たちの情の深さを感じたひとときでした。「次は植村直己の部屋に泊まりたいね」なんて話しながらキャンプ場へ・・・。

それにしても、ビール1杯ぐらいなら車を運転してもOKなのは本当にアメリカのよいところです。

(のん)

 

 

DAY8「植村直己を追って」はおしまい。

アラスカDAY9 さよならアラスカ - アメリカ横断2人旅へ続く。