アラスカDAY7 めざせ北極圏
ダルトン・ハイウェイに挑む
きょうも快晴。9時半ごろ起床。
疲れがたまっていたのだろう、さすがに少し寝坊してしまった。急いで準備をして、ホテルを出発。
昨夜も訪れたFred Meyerで朝食、昼食、さらに非常用の水などを買い込み、ガソリンをたっぷり補給。
きょうの目的は、「水曜どうでしょう班」も走った悪路ダルトン・ハイウェイの走破。
ただし、どうでしょう班が宿泊したコールドフットまでは片道で7時間近くかかるらしいので、目的地はその手前、北緯66度33分の北極圏とした。
もし順調に走れそうな手応えがあれば、一気にコールドフットも狙おうという算段だ。
10時にはフェアバンクスを離れたかったのだが、寝坊のせいで11時に出発。ダルトン・ハイウェイに向けて北上する。
「未舗装のタフな道」とは聞いていたものの、走れども走れども舗装された道。交通量も少なく、快適なドライブが続く。
「案外あっけなくコールドフットまで行けちゃうかもね」なんて話ながら、2時間ほど走る。すると、不意に道路脇に「未舗装」の標識が出た。
「次の425マイル区間ではライトを点灯せよ」との表示も。425マイル(700キロ)もライト点灯!?
車内の空気もピリリと引き締まる。
ついにやって来た。ここからが本当のダルトン・ハイウェイだ。
未舗装の道を走ることに不安はなかったが、道中でのパンクやフロントガラスが割れることには不安を感じていた。
水曜どうでしょうでは、「レンタカーはダルトン・ハイウェイを走れないので、ツアーガイドを雇う」という話だった。もちろん、あれは季節が荒れ出す秋のこと。
前述の通り、レンタカーの規約ではダルトン・ハイウェイでの事故、故障は保険対象外。ただ、空港で車を借りるときに特に注意はなかったし(おじさん係員が泣きそうな顔で車種違いのトラブル対応に追われていたためだが・・・)、受け取った書類にもそんな注意は見当たらない。
と開き直りつつも、あくまで「自己責任もやむなし」の覚悟でダルトン・ハイウェイに飛び込んだ。
憧れのダルトン・ハイウェイ。
未舗装とはいえ、想像よりも路面は堅く引きしめられていた。日本の田舎の砂利道の方が、よっぽど走りにくいかもしれない。
しかし、舗装道路よりスピードが出せないのは事実。50マイル(時速約80キロ)ほどでトロトロ走る。
そして、怖いのが大型トレーラーだ。
片側1車線相当の道を、彼らは猛スピードですれ違ってくる。そして、すれ違いざまに大量の砂ぼこりと小石をはねあげる。この小石が強敵だ。
こちらも速度をあげたままでフロントガラスに小石を受けようものなら、運が悪いとガラスが割れてしまいそう。
なので、大型車とすれ違うときは極力車を端に寄せ、停車ぎりぎりまで減速しながら恐る恐るやり過ごした。
一般車は少ないが、大型トレーラーなどの行き来が多い。
真っ直ぐ伸びた道の遥か先に大きな砂ぼこりが、まるで山火事のように立ちのぼっているのが見える。大型車が近づいてきている証。そのスケールの雄大さに感動する。
心配していた道のりだが、意外に舗装区間も多かった。これは心強かった。
そしてさらに走ること1時間、ユーコン川が現れた。
ユーコンでひと息
ユーコン、この目で一度見てみたいと夢にまでみていた川。その音の響きに長い間ひかれてきた川。
大河だった。下流域ならこの程度の川幅も当然だろうが、ここから河口までは約1千キロ。なんという川だろう。
木造路面の橋を渡ると、ガソリンスタンド兼レストランが見える。日本の片田舎のドライブインという印象だが、小休憩のため立ち寄ってみる。
飲料、簡単な食料などのほか、Tシャツやキャップなどのお土産も売っている。店内ではちょうど食事をしている人たちも。トイレを貸してもらうため店の奥に向かうと、宿泊所もあるようだった。
荒野が続くダルトン・ハイウェイ。利用客はまばらだが、緊急時の避難などのためにもこうした施設は必要なのだろう。
ガソリン残量を確認すると、給油せずとも北極圏まで行って帰るには十分な量。
ただ、「もしかして、コールドフットまで行けるかも・・・」という可能性を残すため、給油することにした。
ところが、私の本音が見透かされたのか、「コールドフットには行かないからね」と彼女から念押しの一言。たしかに無謀な挑戦だよね・・・ということで、本当に念のためだけの給油。
給油機は古いタイプが1基だけ、お店から離れてポツンと立っている。
クレジットカードを通す機械も見当たらない。お店に戻って店員に聞いてみると、「給油した後にメーターのPHOTOを撮って、ここに持ってきて」とのこと。
「ん?PHOTO??」。予想外のひと言で、頭の中に「はてな」マークがいくつも浮かんだ。なぜにフォト?私の聞き取り違い??
アメリカに住んで1年。とっさの英語の聞き取りにはいまだに自信がもてない。
給油量を写真で確認するということかと、ようやく理解したのはしばらくしてから。
店員にひとまずクレジットカードを渡し、再び給油機へ。1ガロン(3.8リットル)で5.5ドル。高い!
アンカレッジだと1ガロン約3ドル。倍近い値段がするのは、へき地ダルトン・ハイウェイ沿いだけのことはある。
我々は3.5ガロン入れて約20ドル。「安心を買うと思えば安い」と自分に言い聞かし、メーターの数字をスマホで撮影し、お店に戻る。
レジの店員に画面を見せると、「OK!」の返事。
給油途中の数字などを撮影し、ごまかす人はいないのだろうか。いや、この極北の地にそんな悪人はいないのだろう。
性善説に立った社会なのだろうなぁ・・・なんてことを考えていたら、20代ぐらいの女性店員が、笑顔でクレジットカードを返してくれた。
こんな女の子がここで働いているのか。オーナーの娘さんか。思い切って聞いてみると、「数カ月ここに住みながら働いています」とのこと。
お店を出ると照りつける日差しがまぶしい。
駐車場には、衛星電話やインターネット工事の車両。もちろん、長期滞在してもネットや電話も使えるし、お酒も飲める。美味しい物だって食べられるに違いない。
でも、20代の女の子が何カ月も・・・そのワイルドさに感服しつつ、車を発進させる。
進路は北へ
ダルトン・ハイウェイを走っていると、ちらちらとパイプラインが見える。
北極海に面するアメリカ最大の油田プルドーベイから、南部の港町バルディーズへとアラスカを縦断する約800マイル!(1300キロ)のパイプラインだ。
なんという長さ!北海道最北の宗谷岬から東京までの直線距離が700マイル(1100キロ)なのだから、その長大さがわかる。
この中を原油が長距離運ばれているのかと思うと、気が遠くなるほどだ。
さらに車を走らせること約1時間。とこどろころにカメラマークの標識が立っており、景色を眺めるビューポイントであることを知らせてくれる。
標識を過ぎてしばらく行くと、道路脇で「STOP」表示を持った工事現場のお兄さんの姿が。「工事であと15分ぐらいは通れない。そっちで待ってもらえる?」とのこと。
指の先にはトイレとビューポイントらしき場所。しばし、散策へ。
フィンガーロックと呼ばれ、指の形のような巨岩など奇岩が点在するスポットらしい。小高い丘になっており、まるで古代都市の遺跡でも見ているかのような気分だ。
北極圏に近づくにつれて緯度が上がるため、森林は尽き、背の低い灌木やツンドラの大地が広がっている。
晴れ渡る青空に緑の大地。気持ちがいい。
どうでしょう班が訪れたときは鉛色の景色に雨が降り、大泉さんが「まるで登別の地獄谷みたいだな」と言っていたのが印象に残っていたが、正反対のすがすがしさ。
軽いハイキングを終えて、車に乗り込み道路に戻ると、通行止めも解除。北上を再開する。
北極圏到達
走ること30分。ついに北極圏に到達した。
その景色はこれまでの風景と大きく変わるわけではなく、「ここから北極圏!」と言われなければ気づかず通り過ぎてしまいそうだ。でも、れっきとした北極圏である。
ここから先は、夏至には一日中太陽が沈まない白夜の世界になるわけだ。当然、冬には太陽が昇らない極夜となる。
「もしかしたら、2人の人生で最北の場所に来ているのかもね」「いやいや、将来グリーンランドやアイスランドを訪れることもあるって」なんて会話をしながら、北極圏を示す看板の前で記念撮影。
ここは観光スポットでもあるらしく、それなりに人が立ち寄る。
私たちの滞在中だけでも、乗用車が2台、バイクが2台。バイク乗りは初老の男性2人組。テネシー州からツーリングしてきたとのこと。
「退職して時間があるので、いろんなところを旅している」。うらやましいリタイア生活。北極海に面するプルードベイをめざしていたが、天候が大荒れで通行止めになると聞いて、ここで引き返すそうだ。
駐車場の片隅には、記念スタンプを押してくれるおじさんの姿も。「こんな場所で記念スタンプ!?」と思いながらも、押してもらう。
雨でも毎日いるのか聞いてみると、「交代でね。テントで屋根もあるから、全然平気だよ」と人なつっこい笑顔で答えてくれた。
決して観光客で混み合う場所ではない。というより、普通の観光でこんなところまでわざわざ来ないだろう。しかし、なぜか気持ちがいい。
どうでしょう班のように、赤いカーペットを敷いてシャンパンでも開けたいところだが、時刻は16時過ぎ。
ここまで道草をしながら5時間。そろそろ戻らねば。15分ほどの滞在で、いざ帰還!
ユーコンでまたひと息
帰り道は、ツーリング2人組を追いかけながら一気に南下。
ユーコン川まで2時間。せっかくなので、車を降りて川岸まで近づいてみる。水を手ですくってみると、想像通りの冷たさ。目の前でみると改めてその大きさを実感。
今度来るときはカヌーにでも挑戦してみたい・・・そんな密やかな願いを彼女にばれないように胸に秘めた。
せっかくなので近くのパイプラインも間近で見学。もちろん、ベンチャーズのヒットカバー曲「パイプライン」のメロディーを口ずさむ。
この壮大さに魅せられてエレキギターをかき鳴らしたのだろう・・・とばかり思っていたが、調べてみるとハワイのサーフィンスポットの波「パイプライン」に由来するようだ。
極北の地とハワイ、まるで見当ちがいであった。が、この壮大さはすごい。
ドライブを再開し、ダルトン・ハイウェイの入り口まで戻るのに約1時間半。車は砂ぼこりにまみれ、色が変わってしまったよう。
明日にでも気合を入れて洗車しないとダメだな・・・そんなこんなで、ダルトン・ハイウェイを走り終えた。
ダルトン・ハイウェイを走ってみた実感では、北極圏への道のりの3割程度は舗装路だった。
どうでしょう班がこの道を通ったのが1998年。もう20年以上も昔のことだ。その間、ダルトン・ハイウェイも幾多の歴史をくぐり抜け、完全舗装化への道を歩み出しているのかもしれない。
実際、ドライブ中は何カ所も道路工事が行われており、長時間の停車を強いられたが、これだけの道路はメンテナンスするだけでも大変だろう。
日本と違って、工事現場では男女関係なく活躍しているのもアメリカならではなのだろう。パワフルに働く女性の姿も数多く見かけた。
10年後に来たときは、全線で快適なドライブが出来るハイウェイに変わっている・・・なんてことは結構あり得る話なのかもしれない。
思い出いっぱいのダルトン・ハイウェイとなった。
長い夜をのんびりと
往復で計10時間ほどのドライブで、ホテルに戻ってきたのが21時前。
早速夕食に繰り出す。ホテル隣にあるアメリカンなダイナーに決定。ステーキをほおばり、ビールを飲みながら北極圏到達を祝う。
ほろ酔いでレストランを出て、せっかくなので散歩。23時を過ぎてもまだ夕焼けが明るいフェアバンクスの街。白夜とは行かないが、どうにも不思議な感覚だ。
ホテルに戻り、明日の作戦会議。
アンカレッジを通り過ぎて、アラスカ南部の国立公園でキャンプをしながら氷河見学を予定していたが、南部は天候が悪いらしい。
明日の天気次第でキャンプ地を決めればいいやと、結構いい加減なプランを立てつつ、極北の地でぐっすり就寝。
(なお)
この日の走行距離=400マイル
総走行距離=995マイル
★私から一言★
未舗装の砂利道を何百キロも走るなんて何が面白いンだ? などという疑問を差し挟んではいけません。相棒が行きたいと言ったらとにかく付き合う。それも旅のスタイルの一つです。
がたがた道をのろのろ走っているときは、「軽トラならもっと飛ばせるのになぁ」と呑気に田舎の農道を思い出していましたが、砂ぼこりを巻き上げてダンプが近づいてくると、気分は一気に『マッド・マックス』。アメリカには、タイヤが乗用車の車高ほどもあるモンスター級のダンプがいるのです。象の突進に身をすくめる子ネズミのような心地で何度もダンプをやり過ごしました。
延々と広がる低木の原野はまるで別の星のようで、往来する車が途切れると、ふいに風の音だけになり、ぞくっとする瞬間がありました。ユーコン川を見つめて感無量のなおさんでしたが、実はカヌーで川下りをしたいのだと知っています。まぁそれは別の相棒を探してもらおうかな(笑)。
(のん)
DAY7「めざせ北極圏」はおしまい。
アラスカDAY8 植村直己を追って - アメリカ横断2人旅へ続く。